< TALK TO YOU >
 少女は大きく深呼吸して息を吸い込むと、右手に持ったストップウォッチをかちりと押す。
「さて、今から一分。準備はいい?」
「そんなこと言ってる時間がもったいないよ。夏菜ちゃん」
 夏菜に抱かれた白い猫が心配そうな顔で話し掛けてくる。
「ああそうね。じゃあ今日は桜の生まれた頃の話しね」
「ええ、私の!?」
 白猫の桜が毛を逆立てて驚く。
「もう、時間が無いんだから邪魔しないで」
「はーい」
 不満げな桜を無視して横目でストップウォッチを見る。残り時間は40秒。
「私が学校に行こうと家を出たとき、なんかか弱い鳴き声が聞こえてきたのね」
「それが私?」
「そ。家の庭に迷い込んで来て、まだ春先だったから雨が冷たくてね。桜、すっごい震えてたんだよ」
「覚えてないや」
 するりと夏菜の手から抜け出し、肩に登る。顔を見られるのが恥かしかった。
「それで、お風呂に入れてあげてホットミルクをあげるとね、すごく美味しそうに飲むんだよ。で、可愛くってさぁ……」
 ストップウォッチが甲高い音でタイムアップを告げる。
『あ……』
 桜と夏菜の声が重なり、それっきり黙りこむ夏菜。
「はぁ。やっぱり一分って短いよね」
 机の上に置かれたメモ帳とボールペンを取り、素早い手つきで文字を書いていく。
『しょうがないじゃない。約束なんだから』
「けど、短いのには変わらないよ」
 肩から机の上に飛び降りた桜は、夏菜に振り向いて悲しそうな顔をする。
「ねぇ、僕のことは気にしなくていいか―――」
 桜の言葉は、夏菜の厳しい視線によって遮られた。怒った顔のまま、メモ帳に文字を書き、破いて桜に見せる。
『こんどそんなこと言ったら、覚悟はいい?』
「う……はい……」
 困った顔で小さくうなずいた桜は、夏菜の胸元に飛び込んで小さくごめんねと呟いた。

―――生命力を分け与えることでこの者の命を永らえさせる。
 桜が事故にあって瀕死の状態の時、通りかかったお坊さんが言った一言が全ての始まりだった。
 夏菜の生命を分ける。どういったことになるか良くわからずに夏菜はうなずいた。目の前の消えそうな命が救えるなら、たとえ寿命が半分になったとしてもかまわなかった。
 結果、本当に桜の怪我は治った。しかも一瞬で。
 その対価に夏菜と桜が払うことになった物は、大きかった。

○生命を送りつづけるために、3メートル以上離れてはならない。
○夏菜は一日60秒までしか喋ってはいけない。そのかわり、桜が言葉を話すことができるようになる。
○お互いのシンクロを高めるために、与えられた60秒は桜との会話に使うこと。

 以上のどれか一つでも破れば桜の命は無くなる。
 そう言い残してお坊さんは去っていった。
 その事故から、すでに半年が過ぎた今でも、二人はその約束を守りつづけていた。

「今日も授業終わったね」
 夏菜の手提げ鞄から顔を出した桜は、慣れた手つきで夏菜の肩に飛び乗る。
「僕ね、授業って大嫌い。だって動けないもん」
 桜の言葉を聞きながら家へ帰る。この時間が好きだった。
「それでね、それで―――」
「橘さん!」
 後ろから掛けられた声に、慌てて桜が黙り込む。
 無言で振り向くと、男子生徒が走ってくるのが見えた。
 彼は夏菜の前まで来ると肩で息をしながらなんとか言葉を吐き出す。
「はぁ、はぁ。いつも早く帰るから追いかけるの大変だよ」
 知っている顔。同級生の加藤健吾だった。
 夏菜はポケットからメモ帳とボールペンを取り出すと、ボールペンを走らせ文字を書いたメモ帳を健吾に見せる。
『なにか用?』
「あ、いや……用というかなんと言うか……」
 走ってきたからか照れてるからか判別しにくいが、とにかく健吾の顔は真っ赤だった。
 周りに人がいないことを確かめ、夏菜の顔を見て口を開き―――
「あの、この猫って」
 桜の視線に気づき、困った顔をする。
『気にしないで』
 走り書きを健吾に見せる。
「あ、じゃあ……」
 大きく息を吸い込み、夏菜の顔を見る。真剣な表情だった。
「僕は、君のことが好きだ。つきあって欲しい」
「…………」
 夏菜は口から漏れそうになった言葉を両手で塞ぎ、いきなり背を向けて走り出した。
「橘!おい!」
 健吾の声は、夏菜の耳には届かなかった。

「あーもう、びっくりした」
「僕もはじめてみたよ。告白現場って。夏菜ってもてるんだね」
「冷やかさないでよ」
 人差し指で机の上の桜をつつく。
「あみゅ。それで、どうするの?つきあうの?」
「断るに決まってるじゃない」
「嫌いなの?」
「え……あ……う……」
 桜の純粋な目で見られると嘘がつけない。
 顔を真っ赤にした夏菜はうつむき、つぶやく。
「嫌いじゃ……ないけど……でも私、言葉話せないし」
 はっとして口を閉じるが遅かった。顔を上げると桜が一瞬悲しそうな顔をして、微笑む。無理した笑顔だった。
「あ、桜……そう言う意味じゃ……」
 ストップウォッチが無情にも鳴り響く。仕方なく筆談に切り替える。
『気にしないで』
 文字を見せて、微笑む。
「うん、大丈夫」
 言葉とは反対に桜は首を横に振ると、にっこり微笑む。
「僕ね、甘えてたんだと思う。いつかは区切りをつけなきゃって思ってたんだ。それが今なんだと思う」
 メモ帳を捨て、飛びつく夏菜の手をすり抜け、器用に窓の鍵を開ける桜。
「でも、僕十分長生きできたよ。ありがとう。夏菜」
 窓を開けた桜は、体半分身を乗り出し、振り向く。
「そんな悲しい顔しないでよ」
 夏菜が大粒の涙をこぼしながら激しく首を振っている。
「ほら、猫って死ぬところを人に見られたくないんだよ。だから……」
 桜も悲しそうな顔をして、飛び出した。
 ごめんと言う言葉を残して。

 それから一ヶ月。
「これがね、あのとき逃げ出した理由」
「じゃあ一週間学校を休んだのって」
「そ、別に告白されたからじゃないわよ」
「なーんだ……」
 そう言うと健吾は小さく息を吐いた。喜び半分、虚しさ半分の息を。
「で、それいらい桜ちゃんは」
「うん。見ていない」
 顔を上げ空を見て、夏菜はつぶやく。
「でも、どこかで生きてると思う」
「そうだな……」
 健吾も空を見て答える。
「けど、そんなファンタジーみたいな出来事ってあるんだな」
「あ!信じてないでしょ!」
 健吾を睨み詰め寄る夏菜。
「そ、そんなことないよ」
 慌てて両手をふり、数歩下がる。
「ただ、あまり現実味がないなーってだけで」
「それを信じてないって言うんだよ!」
「そうよ!」
 どこからか聞こえた声に同意する夏菜。そのまま凍りつく。
「……え?」
「あれ?今の声、橘さんじゃないよね……」
 周りを捜す。声が聞こえたのは土手の方。草花が生い茂っていて、猫といわず大型犬でも隠れられそうだ。
「……桜……」
 鞄を落として両手を口に当てる。その目にはこぼれそうなほど涙が浮かんでいた。
「……怒らない?」
「怒るわけないじゃない!」
 出てきた黒猫――風呂場で洗ったら綺麗になった――に夏菜は飛びついた。

<ー了ー>
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