>◇MOON ILLUSION 〜α〜◇<
[<>「潮風と月の煌き」<>]

僕は今、海岸で寝転んでいる。
決して景色を楽しんでいるつもりは無い。
隣りにたたずみ、缶コーヒーを飲んでいる人のせいで、精神的にかなり疲れた状態にあるのだ。
「おまえなぁ、それでも男か?
ちょっとバイクでとばしたくらいでそこまでへばって・・・・・・」
「なにが、『ちょっと』ですか。
バイクに乗った事も無いヤツ捕まえて、いきなり二人乗りの上に、あのスピードじゃあ疲れるのも当然です。」
寝転がったまま、顔だけを、要さん――隣りで座り込んだ、コーヒー缶を持つ人に向けて言う。
砂がジャリジャリと音を立てて髪に絡み付くが、気にするほどの気力が無い。
「まぁまぁ・・・おかげでこんなにきれいな夕日を見られたじゃないか。」
「あれは太陽じゃなくて、月です。それに、あっちは東じゃないんですか?」
思わず突っ込む。
「・・・ああ言えば、こう言う。」
「・・・・・・本気で太陽だと思ったんですか?」
「冗談に決まってるだろ?」
・・・・・・・
僕は、ゆっくりと体を起こした。
・・・確かにきれいかもしれない。
オレンジからコバルトブルーに変わりつつある空と海に、水平線の彼方から雄大に昇りつつある不思議な色をした丸い物体――全ての音を飲み込むように、寄せては引く、終わらない波――まるで一枚の絵のようである。
最近勉強ばかりで、景色なんかゆっくり見る事なかったな・・・。
要さんが、面倒くさそうに僕の背中や頭をはたく。
多分、砂を落としてくれたんだろう。
しばらくして、要さんの手が完全に止まってから、僕は口を開いた。
「ありがと。
・・・でも、いきなりなんでこんな所に連れて来たんです?」
「ん?・・・いや、最近つまらなそうな顔をしているなと思ってな。」
言って、人の頭をクシャリとかき回す様になでる。
気晴らしに、って事か。
そんなに余裕の無い顔をしていたんだろうか・・・?
髪を整えつつ、そんな事を考える。

要さん――僕よりも5つほど年上のその人は、言ってみれば小さい頃から僕の遊び相手をしてくれた、『近所のお姉さん』だった。
昔から男っぽい口調、荒々しい雰囲気を持ち、人をからかう事が大好きで、女性にして、僕の知る限り『女らしい』と言う言葉から一番かけ離れた人。
中学の頃からバイクを乗り回し、もめ事には嬉々として首を突っ込み、断然僕よりも男らしく、体力的にも僕が勝てる要素は一つも無い。
それに対し僕は、ごく平凡な生活を送っている、ただの中学生でしかない。
・・・なぜ、僕のようなつまらない人間を相手にしてくれるのかは不思議なのだが、そこは要さんらしい『気まぐれ』と言うヤツだろう。
不思議と言えば、有名な四年制大学に一発合格した事もかなり不思議だ。
外見で人を見る事は良くないとは思いつつも、要さんがかなり勉強が出来ると言うのは、今でも信じられない事の一つである。
――つまりは、そういう感じの人なのだ。

傍若無人、万年無礼講なその要さんが、いきなり僕をこの名も知らぬ海岸に連れて来たのは、学校が終わってすぐの事だった。
下校途中にバイクの後ろに乗せられ、後はそのままドライプへ突入――素人目にも無茶苦茶な運転に振り回されつつ、やっと海岸にたどり着き――今は生きている事の喜びを感じている真っ最中である。

「良哉、学校は楽しいか?」
「・・・・・・・・・・・・
――要さん、要さんは大学でどんな事を学んでいるんですか?」
「・・・・・・うーん、そうだなぁ――」
質問を質問で返す――いつもなら怒鳴られるところだが、要さんは静かに喋り出した。
「例えば――あの月は普段空にあるよりも大きく見えると思わないか?」
要さんが、指差した先には、水平線に昇りかけの月がある。
・・・確かに大きい。
昼間空に見えるときよりも、倍近く大きく見える。
「・・・でも、月が大きくなったり、小さくなったりなんて――」
「ああ、もちろんそんなことが現実に起こっているわけじゃない。
それどころか逆に、水平線に近いほうが距離は遠いはずだよな。」
地球を中心とした振り子を思い浮かべ、頷く。
『地球の上で見ている人』ではなく『地球の中心』が中心だから、見ている人にとっては天頂が一番近く、昇る時と沈む時が一番遠いはずなのだ。
「なぜだか分かるか?」
考え込む僕を楽しむかのように、人の悪い笑みを浮かべ、僕の顔を覗きこむ。
・・・・・・うーん・・・。
「――水平線の近くに見える時は、海面から蒸発した水蒸気が光を屈折させるから・・・?」
いわゆる蜃気楼のように、遥か遠くの物が近くに映し出されるんじゃないだろうか?
「――まぁ、中学生としては満点に近い答えか。」
「違うんですか?」
「ああ、まったく。」
・・・この辺りはさすがである。まったくの容赦無し。
「昔ね、『人の眼と言うのは、遠くの物ほど大きく見えるものだ』とか言う考えを発表した学者がいてね。」
「・・・正気ですか、それ?」
「まあ待て、分かりやすいように説明してやるから。」
要さんは、そこらへんに落ちていた木の棒を使って、砂地にさらさらと『対象の視角(θ)=一定の時・・・見える大きさ(s)÷見える距離(d)=対象の視角』(注1)と言う数式を書いて見せた。
「さっき言った学者だがね、こういう式を考えて、説明したんだ。
・・・この式をちょっと変えると、『s=θd』となる事は分かるよな?」
砂に『s=θd』と書きながら聞いてくる。
「はい。」
「この式によると、『対象の視角』が一定なら、『見える大きさ(s)』は『見える距離(d)』に比例する事となる。つまり、網膜像に写った大きさが同じならば、遠くのものほど大きく見える、逆を言えば、近くのものほど小さく見えると言う仮説なんだ。これを、『大きさ−距離不変仮説』と言うんだ。」
・・・・・・・・・・
「なんか・・・化かされているような気がするんですが・・・」
・・・お世辞にも分かりやすいとは言えないと思うし。
「まぁ、気にするな。とりあえず、そう言うものだと思うしかないって。
――で、だな、次に、1943年だったかな・・・ボーリングとか言うヤツがこんな実験をしたんだ。(注2)
建物の屋上で実際の月や、それを鏡に映して地平から天頂の間で方々の方角に変化させた月を、仰向けに寝かせた被験者に見せ、それがどの位の大きさに見えるか、色んな大きさの円盤を使って判断させたんだ。まぁ、プラネタリウムを思い浮かべると分かりやすいかな。」
「・・・なんで仰向けに寝かせたりしたんですか?」
「月が大きく見えるのは、月そのものや地形、景色によるものなのか、それとも人間自身にその答えがあるのかを見分けるためさ。」
「なるほど・・・で、どうなったんです?」
「結果か?結果はね、天頂の月は大きく、地平の月は小さく見えたんだってさ。
つまり、眼を向ける方向に依存して、大きさの判断がなされたという事だ。」
「ふぅん・・・。」
「物を睨み上げるように見ると、眼を動かす筋肉に緊張が生じ、それが距離の過小判断の手がかりとなって、実際には物の大きさは一緒なのに、本物よりも小さく見えてしまう。これで、さっきの『大きさ−距離不変仮説』が成り立つわけだ。」
なるほど。それで、空にある時の月は見上げるわけだから、小さく見えて、結果的に昇る時と沈む時の月が大きく見えるのか。
「まぁ、この『凝視角度説』にも欠点はあるんだけどね。」
「え?その説が正しいってわけじゃないって事ですか?」
「ああ。」
・・・頭が痛くなって来た。せっかく難しい話を理解できたのに――理解した途端に足元からひっくり返すんだもんなぁ・・・。
「・・・じゃあ、無意味な説だったんですか?」
「いや・・・月が大きく見えるのが、『人』のせいか『自然の産物』かが確認できた。」
ため息混じりの僕の問いに、要さんの答えは前向きなものだった。
「1962年にな、今度はカウフマンと言うヤツが、また似たような実験をしたんだ。(注3)
人工的に二つの月を創りだし、それをまた人工的に創り出した風景の中に置いて、視野の色んな位置で二つの大きさを見比べるという実験をな。」
「人工的な月と人工的な風景・・・?」
「うーん、まぁ、そこらへんはあまり重要じゃなかったんで、詳しくは覚えてないが――確か、工学装置とか鏡を使ったんだったかな・・・」
さすが、アバウトな要さんらしい答えである。
「・・・何か言いたそうだな?」
「い、いえ、別に。で、実験結果はどうだったんですか?」
頭の中まで読まれた気がして、慌てて先を促す。
「・・・・・ま、いいか。
実験の結果はな、ボーリングの実験で見られたような、視角による影響は全くなかったそうだ。
代わりに、月が地平線や何かの風景と重なって見えるかどうかによって、その大きさの見え方が30〜100%も違う事を発見し、最も重要な事はその地平に広がる風景だと結論付けたわけだ。
・・・月との間に見える地上の介在物が、奥行き知覚の手がかりとなって、見かけの距離を拡大し、一番初めに話した『遠い物は大きく見える』という考えから、月の大きさが違って見えるという事――『月の錯視』と言うんだが――それを説明したんだ。」
「要先生ぇー!」
わざとらしく、手を上げる。
「なんだ、良哉。」
「ちょっと難しくて、理解できませんでしたぁっ。」
要さんは、ふぁぅっと大きなため息を一つ漏らすと、すっくと立ちあがる。
その後一呼吸置いてから、くるりとこちらに向き直った。
「――じゃあ、なるべく簡単に説明していくか。」
「はい。」
「まぁ・・・なんというか、分かりやすく言うと、周りの風景――建物や自然、地形や海なんかが月の手前に有ると、その影響で奥行きが強調され、本来の距離よりも遠く感じてしまうんだ。
・・・ここまでは分かるか?」
「はい。」
理解しているという意味を込めて、返事と共に頷く。
建物や大地、海なんかがある時――つまりは昇る時と沈む時に月を見ると、周りの建物と月を比較して見てしまうから、本当の距離よりも遠くに見えてしまうって事だな。
「なら後は簡単だ。
視角が一定ならば、遠くにある物の方が大きく見えると言う最初の考えから、月が遠くに見える時の方が、大きく見えるってわけだ。」
「なるほど。じゃあ、それが正しい説なんですね?」
「お前・・・なぜ『正しい』って事にこだわる?」
「・・・違うんですか?」
要さんの僕を見る目が、少し厳しくなったような気がしたのは・・・気のせいだろうか?
「・・・・・・違うって言えば、違う。最も有力な説の一つってだけだ。
心理学、生理学、物理学――それぞれの学者が色々な説を出してるが、未だに決着がついていない。」
「そう、ですか・・・。」
やっぱり、どうしようもないことなのだろうか?
僕の考えていることは、無駄な――無意味なことなんだろうか・・・?
いつの間にか目に映る物は、足下の砂しか無くなっていた。
「月はね――」
「はい?」
いきなりの声に、僕は顔を上げた。
「月はね、良哉。いつだろうと手を一杯に伸ばして手に持った五円玉の穴の中に入る位の大きさしか持ち合わせていないのさ。」
そう言うと要さんは、試してみろとでも言わんばかりに僕に向かって五円玉を投げてよこした。
――今や、ほとんど昇りきった月に向かって、試してみる。
・・・水平線に尾を繋げた月は、確かに五円玉の穴の中に収まっている。
「誰が、どんな議論をして、どんな答えを出そうが、それは変わらない。」
「はい・・・そうですね。」
「世の中にね、努力したものに無駄なものなんか無いのかもしれないな。
どんなものだって――結果が間違っていたとしても、それを糧として違う何かを成してゆく――」
「どんなものにだって――ですか・・・?」
「ああ。経験はその人を形作る元だ。例え、それがどんなものだとしても、な。」
心の奥で、もやもやとしていたものが晴れていく――言葉で表現しきれないものが、綺麗に――澄んでゆくような――そんな気持ちが広がってくる。
不意に要さんの方を向くと、何故か要さんはふいっと向こうを向いてしまった。
「・・・話がずれちまったな。
どの答えが正しいか、まだ分からないし、もしかしたら、全部違うかもしれない。それでも――人は答えを探すし、多くの間違いの中から、答えを見つけ出してゆく――結局は、一生懸命やるしかないもんな。」
要さんは、不思議な表情を浮かべて、最後にそう言ったのだった。


翌朝、僕は軽快とも言える足取りで学校に向かっていた。
・・・なぜ、要さんがあんな話を僕にしたのかは、分からない。
でも、僕はとても気が楽になっていた。
――そう、無理をする事は無いのだ。
何が正しい事かなんて、わからない。
そして、目に見えるものが正しいとは限らないのだ。
一歩一歩進んでいこう――

腕をいっぱいに伸ばした先――二本の指の間の五円玉の穴から、きれいな月が覗いていた。

[終]

さて、最後に問題です。
思春期真っ盛りの少年『良哉』クンは、いったい何に悩んでいたのでしょう?
1)受験、2)いじめ、3)恋愛、4)人生について


注釈1)大きさー距離不変仮説
異なる距離に呈示された対象の視角(θ)が等しいとき、それらの対象の見えの大きさ(s)と見えの距離(d)との間にはθ=s/dという関係が成り立つという考え方。ここから、s=θdとなり、見えの大きさは見えの距離に比例することになる。つまり、視角が一定ならば遠くにあるものは大きく見えるという考え方である。(誠信心理学辞典 誠信書房):・・・(HP a:a-1)より

注釈2)凝視角度説
Boring(1943)は、建物の屋上で実際の月や、それを鏡に映して月野市を地平から天頂の間で方々の方角に変化させた月を被験者に見せ、さまざまな大きさの円盤とマッチングさせました。その結果、たとえば仰向けに寝て観察させると天頂の月は大きく地平の月は小さく、つまり、頭に対する眼の相対的方向に依存して大きさの判断がなされたということになります睨みあげるように見ると眼を動かす筋肉に緊張が生じ、それが距離の過小判断の手がかりとなって、視対象の視覚は同じであるのに小さく見えるという大きさー距離不変仮説が成立することになります。(少しややこしい議論ですが、ゆっくりと整理して下さい。)日常私たちが睨み上げるように見るのは当然、天空の方向ですので、凝視角度説により、天頂方向の距離過小視が月の錯視を説明してくれます。:・・・(HP a:a-1)より

注釈3)地上物体説
Karfman &Rock(1962)は光学装置で人工の月を二つ作り、その全面に地平線上の風景が反射して見えるハーフミラーを置いて、人工の月があたかも風景の中に観察されるような装置を工夫し、視野のいろいろな位置で両者の大きさを比べたのですが、彼らの実験結果によると、Boring(1943)で見られたような仰視角度による影響は全く見られなかったそうです。そのかわり、実験の中で彼らは地平線上の風景が月と重なって見えるかどうかによって、見えの大きさが30〜100%も異なるということを発見し、月の錯視にとって決定的に重要なのは地平に広がる風景であると結論付けたのです。
 月との間に見える地上の介在物が奥行き知覚の手がかりとなって見かけの距離を拡大し、これは大きさー距離不変仮説(分からない人は前回の記事を見てね)に従えば、遠い月は大きく見えるという理屈であり、地平方向距離過大視が(図参照)月の錯視を説明します。 :・・・(HP a:a-2)より


参考文献:インターネットホームページ
a)宇宙情報「http://www.ipe.tsukuba.ac.jp/%7Es951788/SInfo/index.html」
a-1)天文のための心理学(97年夏号)
a-2)天文のための心理学2(98年春号)
b)Astro Photo Club「http://www.asahi-net.or.jp/~nr8y-ktu/index.htm」
『コーヒーブレイク』コンテンツ内、星とりどり−月の錯視


後書き補足



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